入院費用が払えない。危機的状況を救ったのは…‥。実話②
テンです。
前回の続きです。
しばらく天井を見つめていると
看護婦さんがやってきました。
そこではじめて状況を知ることになります。
なんと、お腹の赤ちゃんは帝王切開により、
取り出されていました。
緊急で取り出さなければ赤ちゃんの命が危険ということで、意識がない私に変わって同意書にサインをしたのは、他でもないKだったのです。
籍は入れていませんでしたが、
父親であること、そのうち結婚する予定でいること等を説明し、警察にも、冷静になったKがうまく説明したのか、しばらく拘束されたあと、すぐ解放されたようです。
ただの、痴話喧嘩ととらえられたのでしょうか。
私が目が覚めたのは、手術直後で、
ちょうど麻酔が切れる頃と、看護婦さんが様子を見にやってきたところだったのです。
何より気になること。
私の赤ちゃんは…‥。
私が口に出す前に表情で察したのか 「赤ちゃん、とっても元気な女の子ですよ。ただ、ちょっと週数が足りてないのと、小さめだから保育器に入ってるけど、しばらくしたらお顔見れますからね。」と看護婦さんが伝えてくれました。
よかった…‥よかった!
私の赤ちゃん、無事だった。
安堵感とともにどっと痛みが激しくなってきました。
見ると、身体のあちこちから点滴やらなにやらチューブがつながっています。
「そろそろ麻酔が切れて痛いと思うけど痛み止めを飲んで我慢してくださいね。どうしてもツラいときは、ナースコールしてください。」
そういって看護婦さんが出て行った部屋で一人、
頭がだんだん冴えて、現実に戻ってきた私は
動くこともできず、ただベッドに横たわるだけでした。
赤ちゃん、産まれたんだ…‥。
なんにも実感ない。
赤ちゃんが産まれたこと、
両親に連絡入ったのだろうか。
警察が連絡してくれてたらいいのに…‥。
いっそ、私から連絡して、 両親に頭を下げて来てもらおうか。
痛みと、心細さの中、 両親がきてくれたら、今の私の姿を見て助けてくれるのではと、 あんなに反対されても1人で育てると強気で答えた自分の気持ちはポッキリと折れて、すっかり弱気になっていました。
グルグルグルグル、
いろんなことが頭を駆け巡り、
眠ることもできず、只々、痛みの中
耐える時間が続きました。
次の日、帝王切開の場合だと通常10日ほどの入院だと言われました。
緊急帝王切開だったこともあり、
入院代と手術代含めてその当時、私の病院では60万ほどの請求になるようでした。
金額を聞いて心臓が飛びだしそうでした。そんな費用払えるわけない…‥。どうしよう。
「もう少し、早めの退院はできませんか?」
私の問いに、医師はチラリとこちらを見て、
「赤ちゃんも小さめだし、どんなに早めでも10日かな。親御さんとかは…‥来ないの?」
私が運ばれた状況、
誰も病院に来ないこと、
殴られたアザ、
病院側にとって私はワケアリの 不信な女であったに違いありません。
皆の視線が突き刺さるようで、
とても居心地が悪く、逃げだしてしまいたかったです。
誰もお見舞いにくることなく、
赤ちゃんの顔も見れず、
3、4日ほどたった頃でしょうか。
まだまだ痛みが強い中、傷口が癒着しないようなるべく動くことと自分で立って歩けそうなら、シャワーを浴びていいとのことを告げられました。
何をするにもお腹に負担がかかるので、
激痛が走ります。
それでも、早く動けるようになりたい私は、
長い時間かけて誰の手も借りずベッドから起き上がることに成功。
たった20歩ほどの距離を
チビチビと進み、ようやくシャワー室にたどり着くも、洋服を脱いで入るまでも一苦労です。
その、シャワー室で
はじめて自分のお腹を見ました。
緊急帝王切開のため、 おへその下から縦に痛々しい傷がありました。
ほんとに、ここから赤ちゃんを取り出したんだと
実感しました。
シャワー後、
はじめての赤ちゃんとの対面が許されました。
保育器がある病室にも歩いて行かないといけなかったため、一刻も早く一目会いたくて、はやる気持ちとは裏腹に、思うように歩けず対面するまでのわずかな時間が、とてつもなく長い時間に感じました。
ようやく、たどり着き、
やっと。やっと見ることができた私の赤ちゃん。
普通の新生児室にいる赤ちゃんとは違いました。
あんまり身体にお肉がついていなくて、
細くてか弱い小さな小さな赤ちゃん。
1800㌘。 それでも、その小さな体でしっかり呼吸をしていました。 新しい命。 こんな小さな身体で必死に生きてる。
ごめんね。ごめんね……。
涙が止まりませんでした。
一緒に、退院はできないかもしれないということでした。その日は、痛みを、こらえて母乳マッサージをし、母乳を、あげたりミルクをあげたりしました。
動いてもよくなったので、
明日から毎日赤ちゃんの顔を見にこれます。
入院中の唯一の楽しみとなりました。
とにかく母乳が大事と 病院食を完食し、激痛の母乳マッサージに耐えました。
お金はどうすることもできない。いざとなればお金は、あとで必ず払いにきますと病院には頭を下げるしかないと、覚悟しました。
緊急で運ばれたまま、 私は、1円のお金すら持っていなかったのです。
Kは、同意書にサインをしたとのことでしたが、
私は目が覚めてから一度も会っていませんでした。
私はKはそのまま逃げたのだと思っていました。
もう、Kは私の前には現れないと。
入院5日目になろうかという
夕食後、
こんこんとノックの音がし、
顔を出したのは、まさかのKでした。
「何しにきたの!」
私がどれだけなじっても、
人が変わったようにKは、黙って、うなだれていました。
お金を作るために先輩の元で毎日夜遅くまで働いていたので、すぐに、顔をだせなかったこと、
なにより合わす顔がなかったこと、
お金をなんとかしなければと思い、金策に走っていたことを告げ、
Kが封筒を手渡しました。
「とりあえず、使ってくれ。
足りない分は退院までに俺がなんとかする。」
30万ほど入っていました。
私を、病院送りにした張本人なのに
私を助けにきたのは皮肉にもKでした。
「また、来る。退院の日も迎えにくるから。」
家に置いてきていた荷物や、 使いそうなものもまとめてありました。 ここで、不思議な安堵感に包まれてしまった私。 Kは私を、見捨ててはいなかった。 必死に、お金を作ってくれていた。 私は、独りじゃない。
絶望から、希望の光が差したような気がしたんです。正直これからどうしたらいいのか、途方に暮れていたから…‥。
私は、結局Kに依存している。
幸せになんかなれっこないってわかる相手なのに、
私は、まだKとの、未来を夢みてるの?
バカ!未来の私が引き留めている。
Kの呪縛から、抜け出せずに
私は、深みにハマっていく…‥。
また、書きます。