いよいよ決行。自分を取り戻すために…‥。実話④
テンです。
続きです。
逃げることを決意した私は、 なるべくKの気持ちを逆なでしないよう、 Kを安心させるよう振る舞いました。
Kのもとから逃げ出す日を必死に探しながら。
そして、とうとう絶好のチャンスがやってきました。
Kが仕事で出張に行くことになったのです。
この日は絶対に逃してはいけない。
Kは私に俺がいない間、誰かに連絡したりするなよ、と念を押してきました。
私は気持ちを悟られないよう、 できるだけ感情を込めた様子で返事をしました。
この狭い世界から一刻も早く逃げ出したい。 Kの出張は明日から。 決行は明日。
早く朝になれ朝になれ。
Kが出ていくのは、早朝。 Kの先輩がアパートの下まで迎えにきました。
そして、Kが浮気するなよ!とまたも念押しして 「俺にはお前しかいない。愛してる」と甘い言葉をささやき、出て行きました。そんな言葉、私の心にはもう届きませんでした。
余談ですが、暴力をふるったり、束縛するくせに自分は浮気するタイプの男って甘い言葉を恥ずかしげもなく簡単に囁いたりしません? 人前でこれみよがしにイチャイチャしたりするタイプも要注意のような気がする…‥。
Kは、人がいようがおかまいなしに愛してるなんて言える奴でした。
そして、このようなタイプの男性は女心をつかむのがうまかったりするから厄介です。
Kが出ていったあと、 私は急いで荷物をまとめようとしました。
そして、気づきました。 私のお財布、大事な手帳、 靴などすべてがないことに。
Kは私が出ていけないよう、 大事なもの、靴までどこかに隠したのです。
猛烈に腹が立ちました。 結局Kは自分のことしか考えていません。
こんなことまでして、 私とあみをこのアパートに閉じ込めておこうとするなんて。
Kが帰ってくるまで この部屋で一歩も出ずに待っていろと? あみもいるのに?
ミルクはもう、一缶にもみたないほどでした。 買い足さなければ足りそうにありません。 Kの出張は2泊です。
連絡手段のつく携帯すらなく、車もなく、 財布はおろか、1円たりとも持っていない。
誰にも連絡できないように、連絡先を記してある手帳すらありません。
部屋中、くまなく探しましたが、 どこにも見当たりませんでした。
あみの数着の洋服とミルク、 オムツとおしり拭きをバッグに詰めて あみを連れ、裸足のまま外に出ました。
何もいらない。あみさえいれば。
Kが隠した荷物なんていらない。
どこにも行く当てはありません。
とある公園にたどり着き、どこに向かえばいいのかしばらく考えていました。
そのあと私が向かったのは、 幼い頃娘さんを亡くされたと、私を娘のように可愛がってくれていた小さな定食屋さんのおばちゃんのもとでした。
お金もとらずに、こんな私にごはんを食べにおいでと電話をくれる優しいおばちゃんでした。
もうそこしか思いつく場所がありません。
お店は、まだ開店前。まだお店は開いていませんでした。あみをつれて、私はお店の前にしゃがみこんでしまいました。
これから、どうしよう…‥。
途方にくれていたとき、おばちゃんがやってきて 声をかけてくれたのです。
今、考えても本当に親切な方でした。
おばちゃんは、私の姿を見てなにか察したのでしょうか。
「なにかあったね?」と優しく声をかけてくれました。
「おばちゃん…‥。理由は言えないけど、千円貸してもらえませんか。必ず返しに来ます。」
「言いたくないなら言わんでいいよ。 ほら。これ少ないけど…‥。」
おばちゃんは、ポケットからクシャクシャの五千円札を取り出して、私に握らせてくれたのです。
「ありがとうございます。必ず返します。」
「いつでもいいよ。人生いろいろあるけど テンちゃんもお母さんになったんだから、子供を守るために強く生きないとね。」
「…‥はい。頑張ります。」
何度も振り返り頭を下げました。
「あれ!あんた、靴を履いてないがね!」
おばちゃんが、私が靴を履いてないことに気づき、お店のスリッパを持って走ってきてくれました。
もう、重ね重ね感謝の気持ちでいっぱいです。 このときのおばちゃんにはその後、あみを連れて何度か会いにいきましたが、 残念ながらお店を畳んでしまわれました。 その後、お亡くなりになったと人づてに聞きました。
私は、その足でコンビニに向かい、おばちゃんが握らせてくれた5000円札で愚図りだしたあみに飲み物を一本買いました。
小銭が出たので、その小銭を使ってコンビニの外の公衆電話から、電話をかけました。
かけた先は実家です。 そこしかもう助けてもらえる場所はないと思いました。助けてほしかった。
「……もしもし?」
懐かしい声がしました。久しぶりに聞く母の声。 しばらく何も言えずにいると 「……もしかして、テンなの?」
母が言いました。 思わず、 「お母さん。」 涙と同時に言葉が溢れました。
でも、次に母が言った言葉は……。
「やっぱり……。急になんの用?どうせやっていけなくてお金の無心でしょう。あんたはもう死んだものと思ってる。 二度と電話してこないで。」という想像もしない、胸に、突き刺さる言葉でした。
やっぱり私は実家にも帰れない。 そのとき電話が切れる合図のブザーがブーッと鳴りました。
私は、もう追加のコインは入れませんでした。
たったひとこと、「お母さん。」と言葉を発しただけで、無情にも電話はプツリと切れました。
何も伝えることができなかった。 実家に頼れなければ 電話をかけられる相手はもういません。
どこにも行くあてがない。どうしたらいい? そのとき、ふと思い出しました。
Kに電話を壊されたとき幼なじみである友達と話した会話を。
友達は病院で働いていていろいろ大変という話を していました。 その時私はどこの病院で働いてるの?と聞いたのでした。
迷惑を承知で、 病院宛に電話を入れてみることにしました。
大きな病院だったので、 番号はすぐにわかりました。
どうか、連絡がつきますよう…‥。
そして電話をかけたところ 奇跡的に連絡がついたのでした。
電話に出た幼なじみの友達は、まなみ(仮名)とします。 男の怒鳴り声がして、 変な切れ方をしたので、ずっと気になっていたとのこと。
心配で何度か電話をかけ直してくれたようですが、 連絡がつかなかったということでした。
私は、手短に、 公衆電話からかけていて、お金も連絡手段もないこと。暴力をふるわれること。出張中のうちにあみを連れて逃げだしてきたことを話しました。
「なんとかしなきゃ。とりあえず、うちにきて。今日話そう。」
そして、夕方まで時間があるからあみと二人で 病院近くのビジネスホテルで待っててくれたらいいよ、とホテルまで予約してくれたのでした。
本当にありがたかったです。
まなみがとってくれた部屋で、裸足で歩いて汚れた足を洗うため、あみとシャワーを浴び、ようやく人間らしさを取り戻せた気がしました。
約束通り、まなみはホテルまできてくれました。 そして一人で子供を産んだこと、今まであったこと、たくさん話をしました。
まなみは、1人暮らしだからしばらくうちに住んだらいいよ。と言ってくれました。
感謝してもしきれません。 こんな私を助けてくれる友達がいた。
とにかく、働いて自立しようと思いました。 仕事を探して頑張ろう。
そう思っていました。あの時までは…‥。