モチモチまるたん日記

一家5人暮らし。どん底の生活からの再生日記。いつか豊かな生活を手に入れるため、日々もがきながら何かに挑戦中。

おとうさんと呼べなかった私。

今週のお題「おとうさん」

こんにちは。テンです。

もうすぐ父の日。

おとうさん、というお題で父のことを思い出していました。

物心ついた頃から記憶の中の父はとても厳しく、悪いことをすると手を挙げる父でした。

そんな父が私はいつからか嫌いでした。 

2人姉妹の長女として生まれた私。

父と母が言うには小さい頃は愛想が良く、なんでも器用にできてとてもお利口さんな子だったそうです。

それなのにどうしてこんな風に育ってしまったんだろう、なんにも不自由なく育てたのに、というのは口が酸っぱくなるほど聞かされたセリフ。

妹が生まれてからは、 お姉ちゃんなんだから我慢しなさい、 お姉ちゃんのくせになんでできないの?

これもイヤというほど聞かされたセリフ。

お前は、色が黒くてブスだ、妹は目がぱっちりしてて色白で可愛いのに一体誰に似たんだろう。

私は本当はこの家の子じゃないのかもしれない と本気で思いました。

運度音痴で運動会に出たくないと当日は泣いていた妹と、 先反対で運動神経がよく運動会などは大活躍だった私。

1番になったら褒めてもらえると精一杯頑張ったあの日。

返ってきたのは、 「妹に気づかいはないのか?1番になったからってそれがなんだ!」

悲しくて私が泣くと、 うるさい!お姉ちゃんなんだから泣くんじゃない! といつものセリフ。

私だって、好きでお姉ちゃんに生まれたわけじゃない。

私だって認めてほしい、 褒めてほしい、 ただそれだけでいいのに。

お父さん、お母さんも妹もみんなみんな大っキライ!

私はこの家の出来損ない。 私の居場所はどこにもない。

いつしか私は家の中のはみ出し者となり、 心を閉ざしました。

「あんたさえいなければ、家族は仲良くできる」

同じ家の中にいるのに、 私はまるでかやのそと。 3人家族を見ているようでした。

家族の関係は悪化の一途をたどり、 何もわかり合えることもないまま、 中学卒業と同時に私は家を出ました。

そこでパチンコ依存のきっかけとなったKと出会い、自分の居場所を見つけたような気がしていたんです。

Kも親から愛されず、離婚後、母親が男を作ってKをおいて出ていったため、祖父母に育てられていました。

あの頃は、 親に愛されて育った人がうらやましく憎らしかった。 愛に飢えた私たちは、 何かが繋がったのかもしれません。

歪んだ愛情。荒んだ生活。

そんな間違った環境から抜けだすのを救ってくれたのが現在の夫であるカブさんです。

カブさんと結婚を決めたとき カブさんはうちの両親に挨拶にいくと言ってくれました。

本当に久々に連絡をとったとき、 父から返ってきた言葉は 「お前はもううちの娘じゃないと思ってる」

やっぱり両親は変わっていない。私なんかいらないんだ。私は泣いて泣いて泣き明かしました。

せっかく蓋をして見ないようにしていた 両親との確執。

それでもカブさんは挨拶に行こうと言いました。

いやだ、行きたくない、行ったって傷つくだけ。

「ちゃんと気持ちにケジメをつけよう。なんと言われても挨拶だけは行こう。これからは親に愛してもらえなくてもひとりではない。俺が受け止めるから」と言ってくれたカブさん。

カブさんの言葉に私は本当に、何年ぶりかというほどに 実家に向かったのでした。

微妙な表情で出迎えた両親。 会っていなかった年月を表すかのように最後に見た姿より、二人とも歳をとっていました。

ほら、 とカブさんに促されるように 「…‥久しぶり。」とやっとの思いで言いました。

「テンさんと結婚したいと思っています。今日は、ご挨拶にお伺いしました。」

父は、 「勝手にしろ。わざわざ報告にくる必要はない」

母 「こんな子と結婚してもあなたが大変なだけよ。急に、帰ってきて何事かと思えば…‥」

私にどうなってほしいの? 私はどうしたらいいの?

この両親の言葉をきっかけに蓋をしていた小さい頃からの認めてもらえなかった寂しかった孤独だった思いが一気に湧き上がり、私は感情が溢れ出す寸前でした。

カブさんは「あの…‥失礼ですけどどうして、そんなにテンが可愛くないんですか。」と両親に問いました。

両親は一瞬びっくりした顔をして黙っていました。

「私なんか死んだらいいんでしょう。」

結婚の挨拶にきたのに、とうとう私はこんな言葉を口にしていました。

「私だけいつも可愛くない、ブスだ、いつもお姉ちゃんなんだから泣くな、我慢しろ、いっぱいいっぱい我慢してきて、やっと幸せになろうと思ったのにどうして?私は幸せになったらいけないの?私だって褒めてほしかった抱きしめてほしかっただけなのに妹ばっかりが可愛いんでしょう!私なんか死んだらいいんだ!」

カブさんの前にも関わらず私は子供のように泣きわめき、感情が爆発してしまいました。悲しみが次から次に溢れ出し、止まりませんでした。

両親は、何も言いませんでしたが、 カブさんは、 「…‥テンも大好きなご両親にただ愛して欲しかっただけだと思うんです。」

私はカブさんに抱きかかえられながら、ワンワン泣いて家を出ました。

やっぱり来なければよかったと思いました。

その後、何日かが経ち私の携帯に実家からの着信がありました。

一瞬出るのを躊躇しましたが 無言で電話に出た私。

電話の相手は父でした。

「結婚式はいつにするんだ。」

「…‥関係ないじゃん。」

「…‥あのあとお母さんとも話したんだ。悪かった。寂しい思いをさせて」

父からの謝罪でした。

私がこんなに寂しい思いをしていたこと。 今まで気づかなかった。 妹は、どちらかというと私とタイプが違ったので妹には、確かに甘かった。と父は言いました。

「いい男を選んだな。」

はじめてでした。父に認めてもらったのは。

またも私は子供のように泣き崩れました。

そこから、すぐにわだかまりがなくなるわけではありませんでしたが、少しずつ少しずつ実家にも連絡をするようになりました。

しかし長年の溝を埋めるのは容易ではなく、どうしても、私はおとうさんと呼べませんでした。

カブさんとの結婚式当日。 入場のときも父の顔をまともに見ることができなかった私。

最後の花嫁からの挨拶でようやく、  父と母の顔を見て 「おとうさん、おかあさん」 と本当に記憶がある中で何年ぶりかに口にしました。

「私を産んでくれて、今まで育ててくれてありがとう。」

遠回りしたね。 家族バラバラだったね。 でも私が生まれた時、喜んでくれたんでしょう?

子供が生まれたからといっていきなり完璧な親になれるわけじゃないから 私の育て方を後でたくさん後悔もしたと両親はその後泣いてくれたっけ。

不器用な愛し方しかできなかったおとうさん。

もういい。もう許すよ。 不器用なりに、愛してくれてたんだよね。今なら少しわかる気がするよ。

私も母になって子供を育てながらこれでいいのか、これで正しいのかと悩みながら子育てしてるよ。

正解なんてわからない。

でも私は、おとうさんと違うから、 ウザがられる位、 子供たちをいっぱい抱きしめて、いっぱい褒めて育てるからね!

私がおとうさんとおかあさんにしてほしかった事。

不器用なおとうさんへ 今年は何を贈ろうかな。

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